湖東三山
国宝 西明寺
平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。
戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑によって再興されました。
本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築。
鎌倉の様式がよく保存され、国宝に指定されています。
本堂の右方に立つ三重塔は、総桧の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など
鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。
正面両脇に増長天、持国天を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。
国宝 本堂 国宝 三重塔 樹齢約1000年 夫婦杉
国宝 金剛輪寺
湖東三山の一つで奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。
本尊は行基の作と伝えられています。
また、源義経が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれています。
山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭だったころの趣を今なお残しています。
石段を上り詰めたところに、当時の層の機智により織田信長の焼き討ちによる焼失の難を逃れた本堂大悲閣、三重塔二天門があります。本堂大悲閣は、鎌倉時代の和様建築の代表とされる楼門でしたが、江戸時代に二階部分が取り壊され現在の形になりました。三重塔は大悲閣より古いものですが、荒廃したままとなっていたため、昭和49年(1974)復元されました。
また、厄除けのかぶら汁が接待される初観音や、大きな数珠をまわして念仏を唱える千体地蔵盆など有名な行事もあます。
国宝 本堂 千体地蔵の並ぶ参道 名勝庭園
国史跡 百済寺
湖東三山の中で最も古く、建立時は「くだらじ」と呼ばれていました。
飛鳥時代、聖徳太子の発願により、百済国の梵閣龍雲寺を模して造られ、暦を日本に伝えた観勒もこの寺にいたと伝えられています。また、本尊の十一面観世音菩薩は「植木観音」と呼ばれる聖徳太子自作の仏像。
平安時代に天台宗に改宗してからは300余坊の塔頭を構え、「湖東の小叡山」と云われるまでになりましたが、度重なる大火や兵火によってほとんどが焼失してしまい、平安時代のものは現在の本尊などの主な仏像や経巻類が残るだけとなりました。
現在の本堂・仁王門・山門は、江戸時代前期、井伊氏の寄進によって甲良大工の手で建てられたものです。
国史跡 本堂 弥勒半跏石像 仁王門